石田 雄さん『戦争に向かった戦前と似ている』 2014年7月7日 日刊ゲンダイの記事

『恐れているのは沈黙の螺旋…』
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/151621

ほんとにそう思う。

ぜひ読んでみてほしい。

石田雄さん。東大名誉教授。92歳。

戦争を経験した人の感じる、『今』の危機感は、説得力がある。

私などが思うことは・・・
「みんな戦争などしたくない。
ひとを殺したくなんかない。
人間の共通の望みであるはずだ」
ということ。

誰が、なぜ戦争を始める?
―自分の愛する者が殺し殺されるかもしれない
―たかが小さい地球の中、同じ水と空気で生きている
―いったい何を守ろうとしているのか
不思議でならない。

けど、ずっと繰り返されている。

***

池田晶子さんの『14歳の君に』の中の<戦争>の章で、頭の中を整理することができる。

≪日本という国は、世界に類がない平和憲法を作り出した≫、という大事な事実からを述べることから始まり・・・

・・・「それぞれおかれた立場によってものの見方が全然違う。戦争を指揮する国家元首にとっては戦争は平和を守るための善となる

・・・「だからこそ、立場や思想によって違わない考え、誰でも同じ本当のことを考える仕方を知らなけれなばならない

・・・「すべての戦争に共通する、本当の原因と言えるものがないかどうか考えてみよう。
   それは、必ず集団によって行われていること。戦争とは必ず集団による行為だ

・・・「では集団(共同体)とは?あくまで人々の『考え』であって、物のように存在してはいない
   さまざまな共同体(日本国、日本人、学校、家族など)に所属している自分が自分なのだと思い込んでいる。
   なぜなら、わかりやすいし、安心だから

・・・「共同体など、自分の考えの中の作り事だということを忘れてしまう。
   するとどうなるか。
   作り事を現実と思い込んだ人間同士、共同体同士が、その利害や名誉を賭けて、争うことになる

  「作り事だと分かっているなら、どうしてその作り事のために命を捨てたりするだろう。
   頭の中のもののために殺しあうなんて馬鹿げたことをするのは、生き物の中でも人間だけだ

・・・「いったん殺し合いが始まれば、憎悪が憎悪を生む

・・・「試みに、『私は日本人である』 『日本国に所属する』と言ってみる。
   自分は何者かであると規定すると、同時に『自分以外の者』をも規定することに気が付くだろう
   『自分』と『自分以外の者』という気持ちは、利害や名誉といった何かをきっかけとして、容易に『敵』と『味方』という対立へと変化する

・・・「戦争とは、『自分たち』が『自分たち以外』を、『敵』として武力で排除しようとする、集団的な心の動きだと言うこともできる

・・・「現実に肉親を殺された人の憎悪は現実だ。そういう個人の感情である物を、共同体の正義だと言い換えれば、殺人も報復も、正しいものになる
   正義の名のもとに、団結を固くすることもできる

・・・「戦争している国同士は、必ず、自分たちの国が正義で、相手の国が不正なのだと思っている。
   しかし、国なんて存在しないもの、頭の中にしかない作り事の、正・不正をどうやって判断する?
   人間にできるのは、現実に存在する個人が、その置かれた現実の中で、いかに正しく行為できるか、それだけなんだ

・・・「戦争に反対すると口でいうのは簡単だ。戦争に加担するのも。
   難しいのは、そもそも戦争とは何なのか、なぜ戦争するのかということについて考えることだ

***
なんと賢いのだ、池田さん。
このわかりやすさ。
すごい。

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