Jazzはすごいなあ。
高橋アキさんが、なんと私のアレンジした曲を弾いてくださいました!武満徹作曲の「さようなら」。
うれしいなあ。
ジャズのデュオやトリオなどもそうだけど、才能ある音楽家と共演する、あるいは自分の曲を演奏してもらう、というのは、至福の時です。素晴らしい音楽家が、音楽にするべく、魂を傾けてくれるのですから。
アキさんも、エネルギーを一音一音に込めてくださいました。素晴らしかった!うれしくて、にまにま聴いていました。
思えば、たくさんの人のつながりで、この機会が訪れました。
メゾソプラノの清水邦子さんと、「武満のうた」をやろうと発案してくださった、映画監督の水谷俊之さん、CD化に協力してくれた、安ヵ川くん、CDをアキさんの旦那さんである、秋山さん(「さようなら」の作詞)に渡してくださった、評論家の高崎さん。それを聴き、カメラータの井阪さんに、推薦してくださったアキさん!そこから草津音楽祭で村松君とのデュオが実現した。
おおー!すごいー!
清水さん・村松君とのデュオで、武満のうたについては、武満さんの和声を尊重しながらも、たくさん手を加えていった。武満さんは、じゃピアニストになりたかった。ということだから、こっちのほうがメロディに合うと思えば、和声を変えていった。
この「さようなら」は村松君とのデュオで練り上げていったもの。コードもリズムも、自由に幅を広げた。
そして、今回ピアノソロの譜面にする時には、奇をてらわず、メロディが生きるように、という、いつものソロピアノを弾く時のスタンスで書いた。
Jazzは、コードがあったなら、弾き手それぞれが好きな解釈をする。なんと素晴らしいことだろうと思う。
例えば、G7というCという行先に対するドミナント7th中、弾ける音は、なんと、原則として、△7のF#以外のすべての音を弾くことができる。
どう組み合わせるか、音域はどうするかで、弾き方は無限にある。
その中から、その日その時の気持ちに合わせて、選ぶ、ということを日々しているわけである。
なので、クラシックの作曲家が、選ぶ音とは、かなり違うのだ。
Jazzはすごい音楽だと思う。(リズム・ブルーブに関しても!)
うれしいなあ。
ジャズのデュオやトリオなどもそうだけど、才能ある音楽家と共演する、あるいは自分の曲を演奏してもらう、というのは、至福の時です。素晴らしい音楽家が、音楽にするべく、魂を傾けてくれるのですから。
アキさんも、エネルギーを一音一音に込めてくださいました。素晴らしかった!うれしくて、にまにま聴いていました。
思えば、たくさんの人のつながりで、この機会が訪れました。
メゾソプラノの清水邦子さんと、「武満のうた」をやろうと発案してくださった、映画監督の水谷俊之さん、CD化に協力してくれた、安ヵ川くん、CDをアキさんの旦那さんである、秋山さん(「さようなら」の作詞)に渡してくださった、評論家の高崎さん。それを聴き、カメラータの井阪さんに、推薦してくださったアキさん!そこから草津音楽祭で村松君とのデュオが実現した。
おおー!すごいー!
清水さん・村松君とのデュオで、武満のうたについては、武満さんの和声を尊重しながらも、たくさん手を加えていった。武満さんは、じゃピアニストになりたかった。ということだから、こっちのほうがメロディに合うと思えば、和声を変えていった。
この「さようなら」は村松君とのデュオで練り上げていったもの。コードもリズムも、自由に幅を広げた。
そして、今回ピアノソロの譜面にする時には、奇をてらわず、メロディが生きるように、という、いつものソロピアノを弾く時のスタンスで書いた。
Jazzは、コードがあったなら、弾き手それぞれが好きな解釈をする。なんと素晴らしいことだろうと思う。
例えば、G7というCという行先に対するドミナント7th中、弾ける音は、なんと、原則として、△7のF#以外のすべての音を弾くことができる。
どう組み合わせるか、音域はどうするかで、弾き方は無限にある。
その中から、その日その時の気持ちに合わせて、選ぶ、ということを日々しているわけである。
なので、クラシックの作曲家が、選ぶ音とは、かなり違うのだ。
Jazzはすごい音楽だと思う。(リズム・ブルーブに関しても!)
この記事へのコメント