『音楽を愛する友へ』Edwin Fischer の中から
エトヴィン・フィッシャー(1886~1960)・・・スイス人のピアニスト、指揮者。
『音楽を愛する友へ』というこの文庫本を、阪急三番街の「梁山泊」という古書店で見つけた。
「芸術と人生」の章から、共感したいくつかの文章を、紹介します。
p14 芸術とはより高度の次元における生命の反映なのであって、そこでは偶然なるもの、第二義的なるものは、日常生活の平板さの中で齷齪している世俗的人間の眼には隠されているところの一つの合法則性、ある種のの内的美ーそして真理とはほかならぬこれなのだーのために消え失せてしまうのである。だから、芸術と人生は消して二つに割れたものではなくて、ひとつの一体をなすものである。
宇宙におけるいっさいの現象は変化であり、永遠の生成と消滅とである。それでも、大自然はこの久遠の輪廻の輪から逃れようとするものであるらしく、常に新たな世代と、より高度に形成された新しい様式とを創造することにより、死を克服しようと努めてやまない。
p16 「芸術家」とは、大自然の久遠のテーマから生まれ出るところの、つねに新しい無数の変奏に対する感受力を持っているもののことである。芸術家はこの経過、この過程を、たかめられた形式で、音・光・リズムの躍動の中に描き出し、色合いや印象の変化のなかに、また、線やつり合いや、そして精神的な論理の中に表現する。だから、だから芸術は、聖なる生命の、物質を離れた反照なのである。
p19 巣から落ちた可憐な小鳥をひろいあげ、こんなにも早く、こんなにも軽やかに震えながら鼓動するこの小さな生き物の心臓をわたくしの手の中に感じたとき、ーーわたくしにはそれ以後、ケルビーニのアリアやモーツァルトの協奏曲のロンドの響きが、以前とは違ったものとなったのである。
p20 われわれの内部には、また、われわれの周囲には、精神と魂の偉人に対して彼らの作品創造を可能ならしめたところの、あのもろもろのちからが今もなお残らず生きているのである。この光輝く天の恵みに対して胸襟をひらいていること、それに聞き入り、そして謙遜に眺め入ること、これがわれわれの務めなのだ。
p22 われわれ演奏家は再現によって生きている。しかしこの「再現」なる言葉をわたくしは好まない。再現(繰り返し)の法則は、神の呪いである。われわれを神々から隔てている束縛だとわたくしには思われる。あらゆる「最初」、あるいは「一度限りのもの」、新しくより高い形式へのあらゆる一段階、これのみが人類の精神史に足跡を残しうるのである。そして、ひとつの作品への演奏はつねに、このようなものの幾らかを、彼の演奏は含んでおらねばなるまい。なぜなら、精神的偉人たちと、我々内部におけるその形成力との永生の中にこそ—そして、それはまた我々自身のかすかな息吹ほどの想像力と結びついているのだー我々は永遠の生命を持っているのだからである。
『音楽を愛する友へ』というこの文庫本を、阪急三番街の「梁山泊」という古書店で見つけた。
「芸術と人生」の章から、共感したいくつかの文章を、紹介します。
p14 芸術とはより高度の次元における生命の反映なのであって、そこでは偶然なるもの、第二義的なるものは、日常生活の平板さの中で齷齪している世俗的人間の眼には隠されているところの一つの合法則性、ある種のの内的美ーそして真理とはほかならぬこれなのだーのために消え失せてしまうのである。だから、芸術と人生は消して二つに割れたものではなくて、ひとつの一体をなすものである。
宇宙におけるいっさいの現象は変化であり、永遠の生成と消滅とである。それでも、大自然はこの久遠の輪廻の輪から逃れようとするものであるらしく、常に新たな世代と、より高度に形成された新しい様式とを創造することにより、死を克服しようと努めてやまない。
p16 「芸術家」とは、大自然の久遠のテーマから生まれ出るところの、つねに新しい無数の変奏に対する感受力を持っているもののことである。芸術家はこの経過、この過程を、たかめられた形式で、音・光・リズムの躍動の中に描き出し、色合いや印象の変化のなかに、また、線やつり合いや、そして精神的な論理の中に表現する。だから、だから芸術は、聖なる生命の、物質を離れた反照なのである。
p19 巣から落ちた可憐な小鳥をひろいあげ、こんなにも早く、こんなにも軽やかに震えながら鼓動するこの小さな生き物の心臓をわたくしの手の中に感じたとき、ーーわたくしにはそれ以後、ケルビーニのアリアやモーツァルトの協奏曲のロンドの響きが、以前とは違ったものとなったのである。
p20 われわれの内部には、また、われわれの周囲には、精神と魂の偉人に対して彼らの作品創造を可能ならしめたところの、あのもろもろのちからが今もなお残らず生きているのである。この光輝く天の恵みに対して胸襟をひらいていること、それに聞き入り、そして謙遜に眺め入ること、これがわれわれの務めなのだ。
p22 われわれ演奏家は再現によって生きている。しかしこの「再現」なる言葉をわたくしは好まない。再現(繰り返し)の法則は、神の呪いである。われわれを神々から隔てている束縛だとわたくしには思われる。あらゆる「最初」、あるいは「一度限りのもの」、新しくより高い形式へのあらゆる一段階、これのみが人類の精神史に足跡を残しうるのである。そして、ひとつの作品への演奏はつねに、このようなものの幾らかを、彼の演奏は含んでおらねばなるまい。なぜなら、精神的偉人たちと、我々内部におけるその形成力との永生の中にこそ—そして、それはまた我々自身のかすかな息吹ほどの想像力と結びついているのだー我々は永遠の生命を持っているのだからである。
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